失踪した友人。拾った額縁。自分の絵が完成した話。

彼は自分とは真逆のタイプで、社交的でスポーツ万能、友達も多くユーモアもあり、どこか羨ましさや憧れを感じていました。
前田敏幸 2025.07.26
誰でも

こんにちは。

今回は自分の作品、特に「くま」シリーズに至る一歩手前までの話を、
少しお話しできればと思います。

自分が描く大きなテーマとして、ずっと一貫していたのは「死生観」、つまり生きることや死ぬことについてでした。これは大学2、3年の頃からなので、もう10年以上続いている自分の土台です。(何故死生観なのかは過去のメルマガをご確認くださいませ。)

ただ、当初は「手が勝手に動くまま描く」スタイルで、コンセプトやテーマを決めて、モチーフに意味を持たせるといった考えはあまりなく、とにかく衝動のまま描いていました。構成や意味づけなどはあまり興味がなかったんです。

そんな自分に大きな変化を与えたのが、一人の古い友人の存在でした。

その友人の名前は瀬田。4歳から中学卒業まで、長い期間一緒にいた幼馴染です。
あだ名はてっちゃん。

彼は自分とは真逆のタイプで社交的でスポーツ万能、友達も多くユーモアもあり、どこか羨ましさや憧れを感じていました。

中学に入る頃、自分は心臓に疾患があることをきっかけに、いじめを受けるようになりました。精神的にも辛い時期が続く中、彼は変わらず接してくれたことが、今思えば大きな支えでした。

その後、進学で別々の道を歩むことになりました。自分は頭が多少残念でも行けるデザイン系の私立の高校へ進みました。高校は自分に似た変わり者ばかりだったのでそりゃもう非常に充実した時間だったと記憶しています。そこから大学に進学したあと、久々に彼から連絡がありました。

絵の依頼でした。仲の良い大学の友人達といる絵をかいてくれとの事。

報酬は5,000円。その時、ちょうど大学の粗大ゴミ置き場から無駄に綺麗な額縁を拾っていたのでそれに入れて渡しました。(それが人生で初めて絵でお金を得た出来事です)

お互い社会人になり、連絡する頻度が減ったある日、彼の親族から彼が遺書を残して失踪したと連絡がありました。東京から大阪に飛んで行き、親族と友人らと合流。彼の部屋に入って最初に飛び込んできたのが自分の描いた絵でした。

彼の住んでいたマンションの監視カメラには、ゆっくり歩いて去っていく彼の姿が映っていました。色々あったのですが結果としては無事に発見する事ができ、後日迷惑かけたと謝罪を受けながら居酒屋で乾杯しました。

しかし数年後、仕事でトラブルがあったので金を貸してほしいと彼から電話がありました。当時金銭的な余裕はありませんでしたが、彼には失踪という重い行動に出た過去もあり、「今回も放っておいたら危ないかもしれない」と思い、15万円を渡しました。

それが最後の連絡となり、彼はまた姿を消しました。未だに見つかっておらず、生死すらわかりません。聞いた話だと複数人同じ相談をされ、計300万円ほど持ち逃げしたとのことです。

変な話しですが、彼に対する恨みなど湧かず、「全てを置いて逃げること」「裏切って消えること」「向き合わず去っていくこと」、自分には決してできないその行動になぜか、どこか憧れを見たのです。それを絵にしました。

それまでは、絵画とは素晴らしくないといけない、綺麗でないといけない、複雑で天才的でなければいけないと思っていました。超個人的な感情や経験を作品に出すことに躊躇がありましたが、超個人的なことでしか、自分が味わったものでしか表現できないものがあると考えたのです。

その作品は不思議と早々に買約が決まり、自分の手から離れて行きました。
販売価格は15万円。渡した15万円はその時自分で回収を終えたのです。

逃亡図(2020)530x803mm

逃亡図(2020)530x803mm

作品のタイトルは逃亡図。この出来事が、自分の作品の土台を形作る上で、非常に重要なきっかけとなりました。今も彼の行方はわかりませんが、生きていれば、作家を続けていれば、もしかしたらまた金を貸してくれと頼みに来るのではないかと少し期待しながら今を生きております。

そんな体験や葛藤を経て、今描いている「くま」の作品に繋がっていきます。その話は、またの機会に改めてお伝えできればと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

それでは、また良い一日を。

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