凡人がうっかり現代美術の世界に飛び込んで人生むりやり変えた話

今回は新人作家さん向けのメルマガです。
前田敏幸 2025.07.07
誰でも

どうも、こんにちは、前田敏幸です。

いつもメルマガをお読みいただき、誠にありがとうございます。今回は第4回目の配信となります。

グループ展も明日までとなりました。買約が決まった作品もありますので、もしお時間ありましたら、ご高覧いただけますと幸いです。

WHAT CAFE EXHIBITION vol.42:Framing Motion」https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000424.000014158.ht

会期:2025年6月27日(金)~7月8日(火)
会場:WHAT CAFE(〒140-0002 東京都品川区東品川2-1-11)
営業時間:11:00~18:00(最終日は17:00閉館)
入場料:無料

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今回の雑談は更に少しだけ、幼少期から大学生までの、自分の昔話をしてみたいと思います。正直恥が多いので話すメリットはないのですが、最近、展示の場でお声がけいただき、若い作家さん達がこのメルマガを読んでくださっていると知りました。

何か参考になるかは分かりませんが、
「自分はこうだった」という一つの情報としてお話しできればと思います。

もともと自分は美大出身でもなく、美術部に入っていたわけでもない、いわばアートの“王道“から大きく外れた場所からスタートしています。でも、絵を描き始めた理由は特になく、気付いたら描いていた感じです。小さい頃、皆さんも自由に絵を描いていたと思いますが、いつの間にか描かなくなったと思います。自分は特に辞める理由もなかったので、それをずっと続けていたような感覚です。

ただ描いていたのは、いわゆる“絵画“というより、漫画や落書きなど陳腐な表現ばかりでした。小学生の頃は漫画に夢中で、『ワンピース』などの死ぬほど模写をしたり、自作の漫画をノートや教科書に何十冊も描いていました。誰にも見せずにこっそり描き続けていましたが、中学になって初めて限られた友人に見せて反応をもらいました。

高校では普通科に行くか迷いましたが、担任の先生が絵が好きならと視覚デザインのあるコースを紹介してくれたのがきっかけで、デザイン系の高校に進学しました。

中学時代は内交的性格が発揮されてしまい、こそこそと生きておりましたが、高校は3年間クラス替えのないコースで、かつ全員変人だったので、自分を出して生きていいんだとマインドが切り替わり大変楽しい時間でした。ただパソコンを使ったデザインやデッサンの授業があったものの、遊ぶのに夢中で自分はほとんど真面目に取り組んでいませんでした。その頃、そんな自分がハマったのがネット小説です。

読む方ではなく書く方で。
中学時代の友人が小説をネットに投稿していて、それを読んで感動。言葉を並べるだけで世界が広がる体験が衝撃的でした。自分も書きたいと思ったものの、小説なぞエルマーの冒険ともちもちの木くらいしか読んだことがなく日本語力がなかったので、「通話の会話だけで物語を構成する」という方法を試してみました。

これが意外と好評で、最終的には8000人くらいの読者がついて、クラスメイトが授業中に読んでくれるような状態に。友人を登場人物にしたりして、楽しんでいました。このような経験が、「人に何かを伝える」「心を動かす」ことの面白さを実感するきっかけになったと思います。

高校卒業が近づき、自分は自慢ではないが社会人には向いていないと感じていて、「進学」という名目で時間を稼ぎたいと考えました。親からは行くなら自分で金を貯めて行けよと言われ、渋々高校2年生からバイトを掛け持ちして150万円ほど貯め入学金を用意しました。

少し話しは逸れますが、そのバイト中、ふと「普通」について考えが巡りました。このまま生きてたら世で言う普通の人生になりそうだなと思い、それからあらゆる選択肢で普通なら選ばない方を選ぶようになりました。
この結論が今思うと結構重要で、今の自分を築く地盤になっていった気がします。

絵を描く大学にそもそも美大と言うものがあることも知らず、系列校であった神戸にあるデザイン系の大学に進学。大学入学後もふらふらしていたのですが、ある日、ニューヨーク帰りの女性アーティストが教授としてやってきました。授業が面白く、「この下手くそな絵が何億円で売れている」というようなアート市場の話を聞き、現代アートはバカな自分にもとんでもない可能性があるなと興味を持ち始めます。

そして、ある日その教授に廊下でばったり会ったときに個展やりましょうと声をかけられました。飾る作品がないと伝えると、その場で描いて並べればいいと言われて、それもそうだと思い、初めての個展を神戸で開催することに。

その個展では、来場者を驚かせたい、楽しませたいという気持ちが芽生え、もっと枚数を増やそう、大きな作品にしよう、インパクトあるものを描こう、と試行錯誤しました。初めて人前で作品を発表する楽しさを知った出来事でした。

学生時代の何度目かの展示風景。画像の作品は鴨居玲の影響が強い時期でした。

学生時代の何度目かの展示風景。画像の作品は鴨居玲の影響が強い時期でした。

その教授に背中を押される形で、現代アートにずぶずぶとのめり込んでいきます。(暫く喧嘩別れしていましたが最近和解しました笑)

在学中に一つの制作スタイルが確立し、30歳までそれを続けて、今のくまに辿り着いたという流れです。そんなこんなで大学在学中にはニューヨークにも行き、村上隆さんとの出会いにも繋がっていきました。(村上さんのエピソードは過去のメルマガにも書いているので除いてみてください)

振り返って思うのが、描く事を続けていたというよりも、他者に向けて表現を続けていたんだなと今気付きました。うちの両親は特に芸術に関わる家庭ではなく、普通に高校卒業の両親です。18や19で兄を産んで、自分もそんな普通の家庭で育ちました。そんな自分でも、バカみたいに表現を続けた先に今があるようです。絵を描いてなかったら奥さんにも出会っていなかったと思うと、現代美術に人生を変えられた一人でもあります。

長くなりましたが、以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

それではまた、良い一日を。

キャンバス作品の下図。半目にしようとしていましたが、止めました。

キャンバス作品の下図。半目にしようとしていましたが、止めました。

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